AIとの向き合い方

多くの人にとって、AIが段々身近なものになりつつあります。

日本人全体から利用者を正規分布で抽出する時、感覚としてまだ前半の33%くらいの人しか触れていないのではないですかね?

余談はさておき、今回はそんなAIとの向き合い方の話です。

もういつの頃かは忘れてしまいましたが、YouTubeでスティーブ・ジョブズがインタビューを受ける動画を見たことがあります。

「地球上で燃費効率が良い動物を比べたら1位はコンドルだった、霊長たる人間は下から3番目だった。」

こんなことを言っていたと思います。

しかし、私が鮮明に(言葉自体はうろ覚えですが)覚えているのはその後に彼が言ったことでした。

「でも、どうしてかはわからないが”自転車に乗ったヒト”もそこに入っていたんだ。コンドルなんて追い抜かしてぶっちぎりで1位だったよ。人間は、道具を発明することによって能力を格段に向上させることができる、きっとコンピュータもそうなんだ。」

私には、この彼のニュアンスがすごく頭に残っていました。

自転車を仮に「身体の道具性」として捉えるならば、コンピュータはどうなるのだろうと。

「思考の道具性?」でもそれも少し違う気がしました。

それから暫くして、大規模言語モデルを通じた’AI’という概念が世の中に広がりました。

私は、「これだ」と思いました。

AIこそ「思考の道具性」だと。

結論としては、

「AIは思考の道具性として自転車のように使わなければならない」

というのが私の意見です。

例を挙げましょう。自転車も自動車も私たちを遠くへ、そして速く連れて行ってくれます。しかし、前者は脚力を増幅させて推進力を生むのに対し、後者はエンジンを燃やすことで推進力を得ます(アクセルペダルとかの話は置いておきましょう)。

どちらも同じ目的を達成することができますが、後者は人間の筋肉を衰退させてしまいます。本人も気づかないうちに、少しずつです。

AIも同じです。自動車のように使ってはいけません。常に自身の能力の増幅装置として、自転車のように使っていかなければならないのです。

技術は面倒ごとを、’楽’にします。

しかし、

楽の種類も、

考えなくてはなりません。

身体も思考も道具に頼れば、

あなたには何が残るのでしょう。

まずはこれを、’思考’してみましょう。

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